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鳴き沙の

アルフェッカ

1 異邦の子ら -1-

 カラヤがこの美しい海洋国家イフティラームへ送られて、十五回目の春の日は、彼にとって至極特別なものであった。
「カラヤ様、おかえりなさい。今回は大漁ですよ。後程、家へお持ちしますからね」
「今年もクダの樹に、大きな実がなりました! カラヤ様、これをどうぞ。今朝収穫したばかりです」
「レムラァの花も見頃です。祭の日には、祭壇をめいっぱい飾ってみせます!」
 船を降り、市場の立つ広場を抜ければ口々に、イフティラームの民達がカラヤへそう声をかけた。カラヤはその一人ひとりに「ありがとう」と言葉を返しながら、しかし足を止めることはせず、なかば駆けるように賑わう町を進んでいく。
「カラヤ様! お待ち下さい。そのように急がれては、この老骨には酷というもの、ああっ」
「ジャッド、お前まで急がなくていいさ。俺は先に行くから、後から来てくれよ。ダフシャ訪問の件、首長様には俺から伝えておくからさ」
「そういうわけにはいきません。首長様より、カラヤ様のことをくれぐれもと頼まれているのですから……、カラヤ様!」
 背後に響く声を聞き流し、勇み足で坂を登る。左右に木々の生い茂る道を抜ければ、高台には人々の家(トンコナン)が連なっていた。海に漕ぎ出でんとする船にも見えるそれらの建物は、割いた竹を何層にも重ねた弧状の屋根を備え、出入り口には神々を祀る紋様を刻みつけてある。その中でも最も高台にある、海と雷の紋を刻んだ建物へと視線を向ければ、カラヤの頬に笑みが浮かんだ。
「首長様、ただいま戻りました!」
 手を振り、大声でそう声をかければ、政務と裁きの家(トンコナン・ラュク)の前に立つ人々が同時に振り返る。カラヤの育て親でもある首長のムハイヤラと、神と精霊の家(トンコナン・ペカン)の神官達だ。
 集まってくれているとは、話が早い。まるでカラヤの訪れを、待ち構えてでもいたかのようではないか。
「おかえり、カラヤ。一年ぶりのダフシャはどうだった?」
 ムハイヤラが問うのを聞いて、カラヤは意味もなく、まずは大きく頷いた。そうだ、まずはその報告をしなくてはならないのだった。カラヤは帰りの船で書き付けておいた報告の書状を懐から取り出すと、はやる気持ちをなんとか抑え、「こちらを」と口早に言う。
「ダフシャのお偉方から、首長様にくれぐれもよろしくと言伝を承りました。市街の様子も見物してきましたが、あの国は相変わらずです。人が多くて、物が多くて、とにかく賑やか。日が落ちた後も人々があまりに騒がしいんで、虫の声も聞こえません」
 受け取った書状を広げ、目を通しながら、ムハイヤラが何度か相槌を打つ。「ご苦労だったな」と労いの言葉をかけた彼はしかし、ふとカラヤの顔を見て、吹き出すような仕草をした。
「旅から帰ったばかりだというのに、心、ここにあらずといった感じだな」
 「だって、その、首長様」思わず声を上げたカラヤの前に手を翳し、「まあまあ、」と宥めるこの長は、したり顔で神官達を振り返る。
「それでは、例の件は今日を含めた五日後に執り行うということでよろしいか」
「はい。早速、郷中にその旨を伝えてまいりましょう」
 五日後。敢えて目の前で行われたそのやり取りに、カラヤの胸が高鳴った。五日後。——五日後! 待ちに待った、十五回目の春のこの日。この日が遂にやってきた。そう思えばカラヤの心は、このまま大海原すら己の足で歩いて渡れるのではないかと思われるほど、浮足立ってみせるのだ。
「首長様、だ、ダフシャでのお役目の件のご報告に関しましては、先程の書状にしっかと書き留めておきましたので」
 落ち着きの無さを隠しきれずにそう言えば、ムハイヤラが鷹揚に頷いた。
「わかったわかった。ところでカラヤ。今回の祭に際して、この郷の首長としてではなく、お前の育て親として言っておくことがある」
 勿体ぶった口調で語られるそれを聞けば、カラヤの心はなおさら焦れた。ムハイヤラだって、それのわからぬ男ではないはずなのに。しかし彼はにやにやと意地の悪い笑みを浮かべ、こほんとひとつ咳払いすると、
 カラヤの目をまっすぐに見据え、力強く、こう言った。
「今日限り、祭りが終わるまで、お前の仕事は全て俺が預かる。今年は遂にお前達の世代の番だ。正々堂々、全力で、——圧倒的な力の差を見せつけておやり」
 「首長様!」カラヤの目が、輝いた。しかし次の瞬間には既に、足は他所を向いている。
「首長様、ありがとう! 俺、絶対勝ち抜きます!」
 頑張れよ、と応援の声を背中で聞き、つい先程駆け抜けた、その道をすぐに取って返す。途中、ようやく坂を登りきったジャッドとすれ違い、カラヤがその肩を叩けば、老爺は呆れた顔で苦笑した。
「カラヤ様、頑張れよ!」
「イスタバルとどっちが勝つかって、みんな楽しみにしてますからね」
 投げかけられるその言葉に、満面の笑みで返答する。イスタバル。そうだ、彼に伝えなくては。
 昨晩降った春雷を、彼も目にしていただろうか。いや、問うまでもないことだ。彼はきっと見ていただろう。カラヤと同じく意気軒昂として、海上を走る光の線に魅入っていたに違いない。
「イスタバル、——イスタバル!」
 季節の花に彩られた広場を横切り、高く延びた物見台の梯子を一目散に駆け上がる。途中、片手に抱えたクダの実を取り落としそうになり、カラヤが慌てて抱え直していると、上からひょいと誰かの腕が伸びてきた。細身で筋肉質の、大きな傷跡の走る左腕。カラヤの親友、イスタバルの腕だ。
「聞こえてるよ、カラヤ様。あんた、もうちょっと落ち着いて行動できないのか? 臣下がみんな笑ってるぜ」

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