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外つ国のゲンマ

1 神の声 -5-

「悪いが案内を頼んだのは、その粗末な義足の君相手なら、何かあっても十分応戦しうると判断したからだ。トビト、どういう意図であったにせよ、見ず知らずの私を案内してくれた、君の善意に報いたい。ここで私と会ったことは、一切忘れてくれないか」
 押し殺したイナンナの声に、トビトは唾を飲み込んだ。何某かの決意を宿したイナンナの瞳は、濡羽色のその目は、トビトの視線を鋭く射抜き、まるで獣の形相だ。
 しかしだからこそ都合がいい。相手が獰猛な鉄塊の島民であればこそ、──トビトの望みは、叶うのだから。
 暗い希望を抱いたまま、手の内に汗をかきながら、そっと静かに息を吐く。
「肝の座ったやつだな。死が恐ろしくないのか」
 聞かれてトビトは笑ってしまった。
「怖くないよ」
 まるで己に言い聞かせでもするかのように。だが縋るように、本心から。
「怖くない。僕はもう、死んでいるようなものだから」
 射抜くような視線は変わらないものの、胸ぐらを掴むイナンナの手から力が抜けた。首元に押し当てられていたナイフがおろされたのを見て、トビトは無意識に息をつくと、乱れたシャツを掻き直す。手足ががたがたと震えるのを堪えることは出来なかったが、それでもトビトは喉を湿らせると、項垂れて、イナンナに対しこう続けた。
「あの日、あのマサダの襲撃で、──僕は右足も支援者も、守らなきゃならない約束も、何もかも全て失った。命があっただけ良かったと、他人はそう言ったけど、僕はそんなふうに思えない。このまま生きてゆくよりも、死んでしまおうと何度も思った。けど自殺者は死後、神の国へ行けないと聞くから」
 なけなしの信仰心をせめてもの言い訳に、「だからあんたが」とトビトは言った。
「あんたが殺してくれるなら、残りも全て奪ってくれるなら、僕にとってはそれが、それが何よりの救いなんだ」
 イナンナはぴくりとも表情を変えず、ただ隙のない目でトビトのことを見据えている。トビトの言葉に他意があるのではないかと、疑ってでもいるのだろうか。
 しばしの逡巡の末、イナンナはその声に戸惑いの色を残しながら、「君が、」とトビトにそう言った。
「君が右足を失ったこと、気の毒だとは思うが、責任を取って殺してやるようなことはできない。私は確かに鉄塊の島民の一員だが、マサダの襲撃には関与していないし、あの事件は私達にとっても最悪の事態だったんだ。そうでなくとも、こちらだって、陸の人間には散々な目に遭わされてきた。──ただ、」
 「君が死地を探しているなら、それを提供することはできる」存外に柔いその言葉に、トビトはそっと顔をあげた。対峙するイナンナは、じっと真正面から、トビトのことを見据えたままだ。意思の強い目。何かを為そうと奔走する者の目。トビトの持ち得ないそれは、海に照るあの夕焼けのように、心を眩く灼き焦がす。
「トビト。君は私達のことを恨みに思っているのかも知れないが、それを承知で頼みたい。力を貸してくれないか。神殿内のことに通じている、君のような人間の協力を得られるならありがたい」
 イナンナが、不意にトビトに手を延べた。思うより小さな、しかし力強いその両手が、痩せたトビトの手を握る。気後れしたトビトが咄嗟に身を引こうとしても、けっしてその手は放されない。
「誓って言うが、私は君達に害を為そうとやって来たわけじゃない。陸と海との人間が、全面衝突するのを避けたいんだ。囚われた鉄塊の島民の裁判が、ここで行われているのは知っているだろう? 君が足を失ったマサダの襲撃は、まさしくあの男が仕組んだことだ。だけど襲撃で死んだのは共和国民だけじゃない。あの男にけしかけられ、陸に上がった鉄塊の島民だって、そのほとんどが死んだんだ。それなのに、──あの男は、今ものうのうと生きている」
 イナンナの言葉は明瞭だが、そこには隠しきれない、静かな怒気が込められている。
「……どうか私を助けてくれ。しくじるわけにはいかないんだ。代わりに全てが無事に済んだら、その時も君が死を望むなら、私が君を死なせてやろう。
 私は鉄塊の島民改革派、指導者エフライムの娘、イナンナ。父はマサダの襲撃が起こることを事前に知り、それを食い止めようとして、あの男、分艦長のダムガルに殺された。陸の人間と語り合い、歩み寄るべきだと説く父が、あいつらにとって邪魔だったから、──。あれは私の父の敵だ。陸と海とが争い合う、歪みに生まれ出た膿だ。私は、」
 イナンナが、まっすぐな眼でトビトに言った。
「私はあれを、殺しに来たんだ」

(本誌へ続く)

 

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